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    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)食べたら書きたくなって 第19回 後悔のクリスマスケーキ

    (水谷美紀の食エッセイ)

    水谷美紀の食エッセイ〜食べたら書きたくなって〜 第19回 後悔のクリスマスケーキ

    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)食べたら書きたくなって 第19回 後悔のクリスマスケーキ
    わたしの母親はお菓子づくりが好きで、89歳になった今でもせっせとお菓子をつくっている。こどもの頃のクリスマスケーキは、いつも母の手づくりだった。

    物心ついた頃からわたしは母の小さなアシスタントで、ボウルに残ったカスタードやホイップクリームに釣られ、いそいそと手伝っていた。当時は電動のホイッパーもなく、クリームを泡立てるのもひと苦労。そういうときは年子の下兄も召喚され、ちびっ子ふたりでヒーヒー言いながら泡立てていた。

    ここまで読んで、そんな環境で育ったのだからこの人もさぞかしお菓子づくりが上手いんだろうと思った人がいるかもしれない。だがそれは完全な誤解だ。わたしはお菓子づくりが特にうまいわけでも好きなわけでもないし、滅多につくらない。食事は毎日つくっているのに。

    料理をする人間はだいたい、食事づくりに向いた料理人タイプと、製菓に向いたパティシエタイプにわけられると思っている。そして中学生になった時点で、自分は完全に前者なのだと自覚した。パパッとありものでおかずを作る、ちょっと珍しい料理に挑戦する、おいしかった料理を家庭料理にアレンジして再現してみるといったことに関してはフットワークが軽いのに、お菓子となると途端に面倒になってしまうのだ。そもそも製菓の基本といえる計量をものすごく億劫に感じるし、たまにやる気を出して可愛い型を買ってもそこで力尽き、そのまま放置して3年というタイプだ。胸を張って書くことではないけれど、ひとり暮らしを始めてもっとも作っているお菓子はゼライスを溶いただけでできるコーヒーゼリーである。

    母は完全に後者のタイプで、お菓子づくりがまったく苦ではないらしい。わたしが幼い頃からクッキーにドーナツ、カップケーキは当たり前、わたしを含む3人の子の誕生日とクリスマスは毎年ホールケーキを焼き、60歳を過ぎて腕を上げてからはふわふわのシフォンケーキやロールケーキをつくってはあちこちに配り、近年は巨大な栗を購入して手間のかかる渋皮煮を仕込み、楽しみにしているお友達にあげている。渋皮煮は高齢女性に特に好評のようで、わたしも食べたことがあるが、たしかにおいしかった。だが人気なので、遠くに住む娘のところにまわってくることはほとんどない。

    父が入院していた頃は、看護師さんたちにしょっちゅうマドレーヌやフルーツケーキを焼いていた。4年もの入院生活の間、たった2日しか付き添いを休まなかったのに(2度ともお葬式で、うち一度は祖母、つまり実の母親のお葬式だった)「婦長さんにリクエストされたから」などと言って、夜帰宅してからせっせとお菓子を焼いていた。リップサービスだったのかもしれないけれど、父がお世話になっている人達に喜ばれていると思えることが、母はとても嬉しかったのではないだろうか。そのおかげかは不明だが、最期まで父はわがままな患者だったのにも関わらず、看護師さんたちにそこそこ好かれていた(たぶん)。
    この頃の母を見たことで、わたしは母のつくる手づくりお菓子がいっそう好きになった。

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    だが、こういうことは大人になってようやくわかることで、小学生の頃のわたしにとって、毎回イベント時のケーキが母の手づくりというのは、正直いってつまらなかった。当時の母はいま思えばキャリア3年目くらいの新人パティシエールで、下手ではなかったが、かといってプロ並みとはとてもいえず、つまり典型的な家庭の味だった。
    それもあって、たまには「お店屋さんのおしゃれなケーキ」が食べたいと思っていたし、時には口に出して訴えることもあった。だがそのたびに「ええやん手づくりで」「おいしいやろ」と言われ、相手にされなかった。わたし自身も母や兄と一緒にケーキを作る作業自体は楽しかったので、しょうがないかと割にあっさり引き下がっていた。

    ところが小学校4年生の冬。どうしても引き下がれない事件(?)が起こった。地元のケーキ屋さんで初めてアイスケーキが販売されたのだ。
    アイスケーキとは説明するまでもないが、アイスクリームだけでできているケーキで、今ではさして珍しい物でもない。だが当時その登場はちょっとしたセンセーションで、食いしん坊のわたしにすれば黒船来襲クラスの衝撃だった。
    故郷には当時まだサーティワンがなく、ビオレッタも発売されていなかった。ケーキ屋さんはどこかでサーティワンのアイスケーキを見て、これはいけると思ったのかもしれない。

    「今年のクリスマスはうちアイスケーキにしてもらうんよ」。老舗のお嬢様である友達の何気ないひとことに、わたしの心はざわつきまくった。そもそもその時点までアイスケーキを見たこともなく、名前すら知らなかったのだが、聞いただけでそれが何なのかピンと来たのだ。アイスクリームが大好物のわたしにとって、どう考えてもそれは夢の食べ物だ。「それどこに売っとんの?」。必死の形相でお店を聞き出し、絶対にわたしもクリスマスはアイスケーキを食べるぞと心に誓った。

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    「なに言うとんの。そんなもん買うわけないやん」。想定はしていたものの、母に言ったところ即座に却下された。

    ねばってもねばっても駄目だった。我が母は一回NOと決めたら絶対に翻意しない鉄の女。泣いてもわめいてもビクともぜす、何日もかけて説得を試みたが無駄だった。しかも母はある時たまたま買い物の途中でそのケーキ屋の前を通りがかったらしく、「普通のケーキより高くてびっくりしたわ。あんなもん買わんでよろし」と、買わない意志を強固にしていた。
    結局その年のクリスマスはいつもの手づくりケーキ(必ずいちごのショートケーキだった)になり、ふてくされたわたしはわざとまずそうに食べてこっぴどく叱られた。

    次の年になってもわたしのアイスケーキ熱は冷めなかった。買ってもらえなかったので余計に執着が強くなってしまったのだ。食べたい食べたい食べたい。どうしても食べたい。でもたぶん正攻法で訴えても勝ち目はない。さて、ではどうすれば。その時あることに気がついた。両親のうち、新しもの好きでミーハーなのは母ではなく父のほうだった。いかん、頼む人を間違えた!

    わたしは戦法を変え、母ではなく父に相談することにした。何気ないフリをして父に、お父さんさあ、アイスケーキって知っとる? から始め、それが最先端のケーキで、まだあまり売っていないこと(「みんなが食べているから食べたい」と言うと「みんなと同じ」を嫌う父は拒否反応を起こすが「いち早く」ならOK)、わたしも食べてみたいけど、お兄ちゃんも食べたがっているんだよねと、まったく興味をもっていない下の兄まで駆り出し、おねだりを続けた。アイスケーキを知らなかった父は「そんなものがあるのか」とまんまと関心をもち、ついには「一回くらい買ってみんと、どんなもんかわからんしな」と言って母を説き伏せてくれたのだ。ヤッホー父!

    「もう、お父さんは美紀に甘いんやから」。そう言って母はしぶしぶ了承し、その年のクリスマスは念願のアイスケーキに決定した。アイスケーキを買うことになったので、自動的に母の手づくりケーキはお休みになった。そのことについては何とも思わず、わたしはもうウッキウキで、クリスマスイブを待ちわびた。
    そして当日、本当に我が家にアイスケーキがやってきた。「最後の1個やったよ」といって見せられたケーキは、手づくりのいちごショートケーキとはぜんぜん違い、表面が水色にコーティングされた激しくポップなケーキだった。

    これがアイスケーキか。興奮で倒れそうになりながら、いつもより大きめにカットしてもらった。断面を見るとスポンジ生地はなく、本当にまるっとアイスクリームなんだなあとしみじみ感動した。まさにこれが食べたかったんだと、喜び勇んで口に入れた。うん! 冷たい! おいしい! そしてどこまでもアイスクリーム! 頭のなかでは小人になった自分がアイスクリームのプールに飛び込み、泳ぎながら食べていた。

    続けてもうひと口食べてみた。うんうん、やっぱりアイスクリームの味一色だね。当たり前だよねアイスケーキなんだからと感心しながら一気に平らげた。まさにピース・オブ・ケイク(朝飯前)。この調子で残りも全部食べちゃおっかな。

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    ところが、そこでピタリと手が止まってしまった。アイスクリームならバケツいっぱいでも食べられるほどのわたしなのに、なぜかおかわりしたい気持ちにならない。味が単調で飽きてしまったのだ。

    今になって思えば、アイスクリームの専門店でもなく有名洋菓子店でもない地方のケーキ屋さんが見よう見まねで作ったせいもあったのだと思う。兄はというと「なんでケーキが水色なん? いちごないの? 俺いらんわ」と、ごく当たり前の反応を示し、ほとんど残している。待ってお兄ちゃん、冷凍庫にはまだまだたっぷり残っているの。お願いだからもっと食べて。わたしは責任感で潰れそうだった。わがままを言って無理やり買ってもらったのに、今さら「おいしくなかったから、もういらない」などとは、とても言えない。でももう食べられへん……

    「どうや? おいしかったか?」。何も気づいていない父(酒好きでケーキは食べない)にのんきに聞かれ、「うん、まあ……アイスやったね……」と力なく答えつつ、母の顔をちらっと盗み見したが、表情までは読み取れなかった。いつもなら絶対に何か言うはずなのに、その日母はなにも言わなかった。

    ケーキの残りはそのあと誰も食べる人がおらず、食べろと言われることもなく、しばらく冷凍庫に入っていたけれど、いつの間にか捨てられていた。母の手づくりケーキのときは文句をつけながらもあっという間に食べきって、捨てられることなど絶対にないのに。

    翌年から何事もなかったように母の手づくりクリスマスケーキは復活した。わたしが二度と「ほかのケーキがいい」と口にすることはなく、上京するまでクリスマスイブには母の手づくりケーキを粛々と食べた。アルバイトに行ったり友達と遊びに行ったりしてイブに食べられなかった年は、25日の朝、朝食の代わりに食べていた。不思議なことに母のケーキならいくらでも食べられた。

    父が亡くなり、現在ひとり暮らしをしている母がクリスマスケーキを焼くことはない。クリスマスイブには必ず母に電話をかけ、こどもの頃クリスマスを祝ってくれたことの感謝を伝えることにしているが、最近の母は近くのスーパーに入っているケーキ屋さんで好きなケーキをひとつ買って帰り、ひとりのクリスマスイブをそれなりに楽しんでいるようだ。年によっては近くに住む叔母が合流し、ふたりでケーキをつつき合うこともあるという。もう自分で焼かないの? と聞いたところ、「ひとりなのに焼いてどうするの。買ったほうがラクだし、おいしいし」などと、身も蓋もないことをケロッと言って笑っている。

    あの頃は「またか」と思い、毎年当たり前のように食べていた母の手づくりクリスマスケーキ。「今年はちょっと膨らみが悪いね」「お母さんは塗り方が雑だから」などと偉そうに言っていたけれど、今ならそんな悪態をつかず、ほめちぎって食べるのに。

    高齢になった母がつくるケーキは今、簡単にできるお正月用のフルーツケーキだけになった。今年も張り切って仕込むようなので、クリスマスケーキの代わりにありがたくいただこう。

    でも本当はもう一回食べたいなあ。いちごがいっぱいのった、お母さんの手づくりクリスマスケーキ。


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